2010年9月23日

YAKUSHIMA

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学科の友達で行った屋久島旅行

実は羽田空港に着いた瞬間にカメラが壊れてしまい、あの素晴らしい景色の写真を1枚も撮れずorz
そのため文章でその時の感想を書いてみました
今回は@sekkiiablemixiの日記(IWGP風富士山登山日記)に触発されて村上龍風にw




そのとき、スズキは息をのんだ。

午前4時20分。
多くの人間はまだ活動していない時間だが、スズキの脳内には大量のエンドルフィンが分泌している。

スズキは21年前、神奈川の小さな町で生まれ、ずっとその町で育った。
もしかしたら、とスズキは思った。
今まで生きてきた中で一番美しい光景かもしれないな。

漆黒の闇を見上げるとそこには大小さまざまなダイヤモンドが散りばめられているような星空が広がっていた。

「奇跡」という言葉がスズキの頭に浮かんだ。
それは、この星に生まれたことかもしれないし、宇宙の神秘を感じて思ったことかもしれないがそんなことはどうでもいいと思った。
とにかく、一つの「奇跡」がそこにはあった。


午後5時。
周囲はまだ暗く、人の気配もない森の中へと足を踏み入れた。

しばらく歩くと星の光が消え、空は徐々に赤みを帯びてくる。
森の空気は冷気と木々が発生させる酸素やガスによって淡い緑色に見える。

18年前に日本で初めて世界自然遺産に指定されたこの島へ来た理由は、大学の友人であるオカイに誘われただけで特に深い理由はない。
実はスズキは過去に一度この豊かな自然をもつこの島を訪れたことがあった。しかしそのときはこの森の神秘を感じることはなかった。

はるか昔の日本人は多くの事物に神が宿る多信教を信仰していたといわれている。
彼らにとって、石や木といった自然は神の宿る神聖な物だった。
西洋文化の浸食により、今ではそうした考えは廃れてしまっているが、この森にはたしかに彼らの考えに共感せざるをえないなにかがあった。

この森を舞台に描かれた映画があると聞いたことがある。
その映画では、森のもつ生命をこだまとして具現化されて表現されていたが、そんなすべてを包み込むやさしさと神聖なおそろしさを混ぜ合わせたようななんともいえない神秘的な雰囲気がその森にはあった。

森をしばらく歩くともののけの森と呼ばれる場所に出る。
倒れた大木でさえ苔が包み込み、悠久の時を経て森の一部として取り込められる様は輪廻を思い起こさせる。

はるか1万年前から現在の形で存在するヤクシマ。
そこには人間の想像を凌駕する自然が広がっていた。

帰りのバスに揺れながらスズキは民宿の宿にかかっていたある詩の一節を思い出した。
「感動は人生の窓をあける」
今ならこの言葉のイミがわかる気がした。


読んだことがない人にとってはそうとうキチガイな旅行日記ですいません笑

ちなみに村上龍は僕が押してる作家です
賛否両論が極端に分かれますが読んだことのない人は是非読んでみてください

鱸漁blog.com内のレビュー
「愛と幻想のファシズム」
「希望の国のエクソダス」
「ヒュウガ・ウイルス」

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