2010年7月25日

「希望の国のエクソダス」

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「希望の国のエクソダス」 村上龍

評価:5.0





読み始めた瞬間から引き込まれた


この小説はパレスチナにある小さな集落にいる一人の日本人の中学生から始まる




そこから生じた全国の中学生の集団不登校
50万人を越える中学生がなんの前触れもなく一斉に不登校となった


今まで、親や教師から押しつけられてきた価値観に疑問をもったことから始まる、大人の社会に対する反旗


その中で、横浜のある中学生が作った中学生のネットワーク「ナマムギ通信」がその影響を大きくし、ビジネスを始める


最終的に巨大な富を獲得し、全世界に向けて言う


「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」


やがてそんな日本からの独立を目指してNOHOROという都市国家を建設していく



ここで、物語は終わる
エクソダスは大移動という意味であるので、読み終わってみれば、タイトルの意味もよくわかってくる


この小説では大人を痛烈に描いている
おそらく普段村上龍が感じていることの本音も幾分含まれているのだろう

既存の価値観でしか物事を考えられないために、新たな価値観を受け入れられない
それは異なる者とのコミュニケーションをもできないということでもある

そして唯一の自己防衛の手段として「無視」をするという大人は誇張ではあるにしろ、自分も含めた大人というものをよく表しているのではないかと感じた

そう、この小説は新たな価値観を提示してくれる
それこそが読む価値のある本だとぼくは常々感じている
その意味でこの本はとてもおもしろかった


最後に中学生たちはNOHOROという日本から独立した国を建設する事を計画するのだが、実はそれが希望に満ちたようには描かれていない

施設も充実していて失業もなく、自然にあふれたところにも関わらず

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
ポンちゃんはそう言ったのだった。この快適で人工的な町に希望はあるのだろうか、と考えた。もし希望があるとしても、実現に向けてドライブしていく動力となるのは欲望だろう。彼らに欲望が希薄なことはポンちゃん自身が認めている。


希望がある、というのは非常にデリケートな言葉だ
どういう状況ならば希望があるかというのもひどく曖昧だ
主観的な問題だ、という人もいるかもしれない

これを書いている今すぐには答えは見つからないが、希望という曖昧だが重要な言葉の意味を少しづつ考えてみたい


追記(2010/08/11)

amazonのレビューを見ていてこの小説に星1つをつけるような人ってどんな人なんだろうなぁと思って読んでみてました

まぁ本の感想なんて人それぞれ自由なんだけど,なんとも相容れない感じでした

特に目立ったのが,この小説で予想したことなんて全然当たってないという批判

こんなもの批判でも何でもないくらい論外な批判だなと思う
そもそもこれは予測記事じゃなくて小説なんだから

そしてこの本は現実にどうこうとかではなく自分が知らなかった新しい価値観を提示してくれることにこそ本質があるものだと思っています

その意味ではとても素晴らしい小説ではないかと思う


まぁ経済の知識を詰め込みすぎとか文学作品ではないとかいろいろ見受けられました
そこのところは好みではあると思います(僕は一応経済学に身を置くものとしておもしろかったですが)

そんなわけであまり見ないようにはしているのですが,どうもamazonのレビューを見ると腑におちなかったり腹がたったりしてしまう

そのはけ口として今回は追記を書いてしまいました
どうもすいません

こうした僕のレビューを読んでいる方もできれば本を読んで,自分なりの考えや感じ方がまとまってから読むようにしていただくと幸いです

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