2011年1月2日

「これからの『正義』の話をしようーいまを生き延びるための哲学」 

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「これからの『正義』の話をしようーいまを生き延びるための哲学」 マイケル・サンデル

評価:4.4


いろいろな「正義」の考察
ハーバード大でもっとも有名な講師マイケル・サンデルによる政治哲学の入門的著書

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍

早川書房 2010-05-22
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目次


第1章 正しいことをする
幸福、自由、美徳 パープルハート勲章にふさわしい戦傷とは 企業救済への怒り 正義への三つのアプローチ 暴走する路面電車 アフガニスタンのヤギ飼い 道徳のジレンマ


第2章 最大幸福原理 ー功利主義
ジェレミー・ベンサムの功利主義 反論その1:個人の権利 反論その2:価値の共通通貨 ジョン・スチュアート・ミル


第3章 私は私のものか? ーリバタリアニズム(新自由至上主義)
最小国家自由市場の哲学 マイケル・ジョーダンの金 私は私のものか?


第4章 雇われ助っ人 ー市場と倫理
どちらが正しいのかー徴兵と傭兵 志願兵制の擁護論 金をもらっての妊娠 代理出産契約と正義 妊娠を外部委託する


第5章 重要なのは動機 ーイマヌエル・カント
権利に対するカントの見方 最大幸福の問題点 自由とは何か 人格と物道徳的か否かを知りたければ動機を見よ 道徳の最高原理とは何か 定言命法対仮言命法 道徳と自由 カントへの疑問 セックスと嘘と政治


第6章 平等をめぐる議論 ージョン・ロールズ
契約の道徳的限界 同意だけでは不十分な場合ーベースボールカードと水塗れするトイレ 同意が必須ではない場合ーヒュームの家とスクイジー・マン 利益か同意か?自動車修理工サムの場合 完璧な契約を想像する 正義の二つの原理 道徳的恣意生の議論 平等主義の悪夢 道徳的功績を否定する 人生は不公平か


第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる議論
テストの差を補正する 過去の過ちを補填する 多様性を促進する 人種優遇措置は権利を侵害するか 人種隔離と反ユダヤ的定員制限 白人のためのアファーマティブ・アクション? 正義を道徳的功績から切り離すことは可能か 大学の入学許可を競売にかけては


第8章 誰がなにに値するか? ーアリストテレス
正義、目的因、名誉 目的論的思考:テニスコートとクマのプーさん 大学の目的は何か? 政治の目的は何か? 政治に参加しなくても善い人になれるか 習うより慣れよ 政治と善良な生活 ケイシー・マーティンのゴルフカート


第9章 たがいに負うものは何か? ー忠誠のジレンマ
謝罪と補償 先祖の罪を償うべきか 道徳的個人主義 行政府は道徳的に中立であるべきか 正義と自由 コミュニティの要求 物語る存在 同意を超越した責務 連帯と帰属 連帯は同族を優遇する偏見か? 忠誠は普遍的道徳原理に勝るか? 正義と善良な生活


第10章 正義と共通善
中立への切望 妊娠中絶と幹細胞をめぐる議論 同性婚 正義と善良な生活 共通善に基づく政治


説明は必要ないでしょう
今年もっとも売れた本の一つ
マイケル・サンデルの正義論だ

とはいっても、本書はサンデルの主張をごりごり押し通したというよりも一般的な正義論についてのまとめといった形の印象だ

したがってサンデルの主張を読んでみたい、というよりはとりわけ正義についての入門といった格好になっている

その正義論のきっかけとしての本書だが、具体的事例も多く説明もなかなかわかりやすい

功利主義から始まり、リバタニアニズム、カント主義からロールズの正義論まで幅広くカバーしている

政治哲学に関してはかなり浅い知識しかないので、深い吟味はできていないが、素人の感想としては読みやすかった



主張が違えば正義も違う

本書ではさまざまな立場から「正義」を考察する


まず最初に出てくるのは功利主義だ

功利主義にとっての正義は最大幸福原理だ
コミュニティのすべての人の幸福の総和を最大にするような行為が正義であるとする

それに対して、サンデルは以下の反論を投げかける

個人の権利ー全体を考えることで個人の権利をないがしろにしているのではないか
価値の共通通ーすべての人を同じ価値で測っていいのか


次にリバタリアニズムでの主張は個人の自由への基本的権利を重視する

たとえば、マイケル・ジョーダンが稼いだお金は彼のものであって、それを課税し再配分することは彼の所有する権利を侵害する、というようなものだ


とうぜんこれに対しても反論が存在するが、すべての状況でリバタリアンの主張を受け入れなくとも、ある状況下ではそうした主張を受け入れるような人は少なくないだろう


ロールズの正義であったり、カントの正義というものがある


とりわけイマヌエル・カントの項はカントの主張のむずかしさをうまく解いてくれている

カントの正義はこうだ

だからこそカントの尊敬の原理は、普遍的人権主義に一役買っているのである。カントにとっては、すべての人間の人権を守ることが正義だ。相手がどこに住んでいようと、相手を個人的に知っていようといまいと関係ない。ただ相手が人間だから、合理的推論能力を備えた存在だから、したがって尊敬に値する存在だから、人権は守られるべきなのだ。

そしてぼくとしてはカントの主張が道徳としてもっとも直感にマッチし、かつもっとも確固たる主張だと感じた

カントの道徳哲学に関する対比として

対比その1(道徳):義務 対 傾向性
対比その2(自由):自立 対 他律
対比その3(理性):定言命法 対 仮言命法

の3つの対比としてカントの主張を理解できた(ような気がした)


他にも、ここではすべてを紹介できないが、アリストテレス、ロック、ミルといった先人たちがいかに考えていたかを一貫して「正義」という観点で吟味している


経済学という分野はもともと倫理科学として派生した分野であるから、ぼくの専攻である経済学にもかなり密接に関係しているので、なかなか勉強になった


それでは、なぜこうした正義についての議論をしなければならないのか
著者はこう述べている

こうした葛藤に直面して、われわれは正しい行為についての判断を修正するかも知れなし、あるいは、当初は信じていた原則を見直すかも知れない。新たな状況に出会って、自分の判断と原則のあいだを行きつ戻りつし、互いを参照しつつ判断や原則を修正する。この心の動き、つまり行動の世界から理性の領域へ移り、そしてまた戻る動きの中にこそ道徳についての考察が存在するのだ。

(略)

道徳についての考察が、自分の下す判断と支持する原則の一致を追求することだとすれば、そうした考察は以下にしてわれわれを正義、つまり道徳的心理へ導くのだろうか。一生のうちには、道徳的な直感と現即に基づく方針をうまく調和させられるかもしれない。だが、そのけっかが辻褄合わせの偏見以上のなにかであると、どれほどの自信をもって言えるだろうか。

その答えはこうだ。道徳をめぐる考察は孤独な作業ではなく、社会全体で取り組むべき試みなのである。

本書を机上の空論とかで片付けるのは身も蓋もないだろう
たしかに「正義」についての議論など終わりがないことはたしかだが、ベストの解答ではなく、よりベターな解答を納得行く形で結論づけていくことに価値があるのではないだろうか

そうした意味では、「正義」という考える最初のきっかけに本書はなると思う

では、どうやって?

それには対話者ー友人、隣人、同僚、同郷の市民などーが必要になる。ときには対話者が実在せず、想像上の存在のこともある。自問自答する場合などがそうだ。しかし、われわれは内省だけによって正義の意味や最善の生き方を発見することはできない。

ぜひ、これをきっかけに対話や議論を通じ考えてみたいと思う
そしてこういった本こそ批判的に読めるようになりたいと思う今日この頃だ


追記

Amazonのレビューで難解だったという感想がいくつか見受けられたが、これで難解だったら何にも読めないと思うのはぼくだけだろうか?


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