この数式を見て奇妙に思う人もいるかも知れません
現に僕もどうもふにおちないで過ごしてきました
それではこの説明はどうでしょう
a=0.9999....
10a=9.9999...
9a=9
a=1
これで納得いく人も多いかも知れませんが、僕はまだ納得できません
この気持ち悪さは「無限」という概念に直に関係してきます
実はこれを授業で神谷先生に問いただしたところカントールの公理という実数の連続性の一つの側面だということを教えてくれました
実数の連続性とはいわゆるデデキントの切断で「実数をどこかで切断すると、必ず最大もしくは最小が存在する」というものです
例えば0で切断すると[-∞,0) [0,∞)という二つの集合に分かれますが、まぁ見ての通り最小元が存在します
その一つの言い換えだということらしいです
デデキントの切断が当たり前じゃないかと思う人は有理数を例えばπ=3.141592...で切断してみるとそこには最大も最小も存在しないことが分かります
(ちなみにある二つの異なる有理数の間には必ず一つの無理数が存在しますが、だからといってπをその二つの有理数で挟んで縮めていってもよりもさらに狭めることができる有理数が見つかることが背理法によってわかるので、最大も最小もありません)
公理というのはそういった命題を真と仮定した上で理論の構築をするので証明するものではありません
(公理が成り立つと仮定しないと変なことが起こる)
なので結局1~0.9999...というのは等式ではなく、そういったことを認めてくださいという公理なので気持ち悪い云々ではということです
納得
ちなみによく知られたゲーデルの不完全性定理もある意味これと似たような話だと思います
数学の体系にはそれ自身に真も偽も証明できない命題が存在するというやつですが、(多分)公理も似たようなものとして解釈しとけばいいんじゃないでしょうか
(こういう適当な人は数学科には向かないですが笑)
ゲーデルの不完全性定理によく引用される例がセビリアの理髪師というパラドックスがあるので紹介しておきます
セビリアの理髪師はセビリアの男の中で、自分でヒゲを剃らないすべての男のヒゲを剃る
それではその理髪師は自分のヒゲを剃るか
というやつですが、
仮に自分で剃ると仮定すると、自分は自分でヒゲを剃らないことになる
逆に自分でヒゲを剃らないと、自分でヒゲを剃らないすべての男のヒゲをそるので剃ることになる
したがって上の命題は真も偽も証明できないということになります
どうでしょう?
ちなみに最初の例で出てきたものは無限を扱うことで奇妙な結果が生まれる例ですが、その無限を厳密に定義しようとするとε-δ論法になるわけです
おそらく多くの人は大学1年で習っていると思いますが
最後に経済学の数学は幼稚園並だとはよく言われますが、ぼくなんてその最たるモノで数学に関してはど素人(経済に関してもど素人ですが)なので
なんとなーくわかったつもりで書いてるだけなのでご了承を笑
Related Posts:
・Lecture Note 1:No-Ponzi Game Condition の意味
・「集合への30講」
・「経済学・経営学のための数学」
・慶応 数理経済学(確率論) 過去レポート
0 件のコメント:
コメントを投稿