2010年5月2日

「集合への30講」

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集合への30講 志賀 浩二

評価:4.5






教科書としての部類に入るのだろうだろう

しかしこの”教科書”は他とは一線をかしている
まるで、小説でも読んでいるごとく引き込まれた


特に集合論は直感が働かない理論体系であることも一因だろう


どんな集合にもその要素の数というものがあり「濃度」と言われる
{a,b,c}は3と言った具合に

一般に整数の濃度と同じ(一対一対応の写像が存在する)集合の濃度は可算無限個であると定義される

実は整数nの濃度と2倍の数2nの濃度は同じである

そうして考えたとき、可算無限の集合をいくら足しても、かけても可算無限にしかならないが、可算無限のべき集合を考えると無限のランクが一つ上がり、非可算無限となる


これが実数の濃度である

同様にして実数のべき集合はその一つ上の無限のランクになり、繰り返すことで無限には無限のランクが存在することになる


これがカントールが創りだした集合論だ

今までものの集まりとして日常的に考えられてきた「集合」であったが、その要素の数(濃度)を考えたときに想像を超える理論体系になってきたことがわかる

論理的に演繹した結果、直感とは全く違う様相を帯びてきたのがこの公理論的集合論だ


ところで、この集合論の根底には選択公理連続体仮説という非常にナイーブな仮定がしかれている


この仮定に対しても長い間議論が巻き起こったらしい


ちなみに選択公理とは簡単にいえば空集合でない集合を要素に持つ集合族の元の集合から任意に一つの元を取ってくることができる、と言う公理で、連続体仮説とは整数の集合の無限(可算無限)の次のランクは実数の集合の無限(非可算無限)であるというもの


本書では触れられていないが、この二つの公理についてはゲーデルとコーエンが、数学の理論体系に矛盾がなければこれらを真としても偽としても矛盾は生じず、体系とは独立である、つまり「数学の無矛盾性を仮定した上でこの二つの公理の真偽を数学的に証明することは不可能」ということを数学的に証明したのだ



無限という概念を考えたときにその中に無限という概念が内在していたということが認識された集合論の世界


高校まででは知り得なかった数学のおもしろさ、奥深さを感じた

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