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2011年9月24日

「錯覚の科学」

「錯覚の科学」 クリストファー・チャブリス ダニエル・シモンズ

評価:5.0

科学書としては真におすすめの一冊


錯覚の科学錯覚の科学
クリストファー・チャブリス ダニエル・シモンズ 成毛 真

文藝春秋 2011-02-04
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もともとこのレビューは読んんだ本の中でもおもしろかったものを紹介するという名の下でやってきたのだが、最近は本を読んでも忙しくてなかなかレビューを書くに至らなかった

だいたい月に20〜30冊ほどは読むのだが、ブログとしてまとめようとは思うもののほとんどはその前に次の本を手にとってしまう
ブクログという読んだ本を登録しておくサイトが便利すぎるというのもあってあまり改めて振り返るということをしてこなかった


なんで、こんな長ったらしい前置きをしたかというと、この「錯覚の科学」はそんな重い腰をあげてまで紹介したいと思わせる本だったからである
最近の科学読み物としてはかなりおもしろく、中でも特筆すべきなのはそれが心理学の分野であるということ

心理学(正確には実験心理学)でここまで「きちんと」書かれ、かつ読み物としておもしろいのはなかなかない



それでは、さっそく紹介。。。と言う前に以下の実験をやってみてほしい



今から行うのは心理学の実験で注意深く行なってほしい
とりわけYouTubeの画面の下の解説はくれぐれもビデオを見終わったあとに見てください
そんな長くないので

以下のYouTubeの動画ではバスケットボールをしている学生が出てきます
その中で黒い服の学生と白い服の学生がいるのですが

白い服の学生が回したパスの回数を数えてください

これは心理学の実験であなたがどれだけ正確に数えることができたかがあなたの性格を診断する重要な指標になるので、注意深く行なってください

































パスは正確に数えることができただろうか

実はパスの回数なんて全く関係なく、途中出てきたゴリラに気づくことができるかどうか、という実験だ

実験を行った5割の被験者がゴリラに全く気づかなかったというのに特に驚きだが、それ以上に感銘を受けたのはよくこんな実験を思いついたものだという点だ


実はこの心理学の有名な論文は「人は思った以上に見ていない」ということを証明したのだが、お遊びに終わることなく警察官がなぜ犯人を追ったときにそのそばで起きていた暴行事件を見過ごしたのか、という裁判に重要な示唆を与えた
(当然、陪審員はその光景を「見ている」のだから「気づいている」と考え有罪になったのである)



この本はそんな「錯覚」に関する書籍だ

先程の例のように、「見ている」が実は「見ていない」という視覚の錯覚
過去に起きたことの記憶は自分が思っている以上に歪められている、という記憶の錯覚
能力があるかどうか、ということよりもその人が自信があるか、ということでその人の能力を判断してしまうという自信の錯覚
自分は今まで習った多くのことについて「知っているし」それをきちんと「理解している」という知識の錯覚
相関しているということだけから原因と結果を導いてしまう原因の錯覚
自分の能力は10%ほどしか使われていない、という可能性の錯覚


多くの結論が自分の直感や今までの経験、知識から著しく乖離しているので戸惑う人も多いのではないだろうか

表紙をめくればそこに書いてあるのは次のようなものだ

・サブリミナル効果などというものは存在しない
・いくらモーツァルトを聞いてもあなたの頭はよくならない
・レイプ被害者はなぜ別人を監獄送りにしたのか?
・「えひめ丸」を沈没させた潜水艦の艦長は、目では船が見えていたのに、脳が船を見ていなかった

というようなものである
多くのこれから読もうとしている読者と同じように、僕も最初なんでこんなこといえるんだ、と懐疑的でそんなに本書を期待していなかった


しかし、それでは直感と反するこのようなことを「証明」するためにはどうしたらいいか

それが実験を行なって検証する「実験心理学」である


本書の著者はジャーナリストではなく、実は最初の実験を行った人でもある心理学者である
したがって普通の本に比べ膨大な参考文献に裏打ちされたレッキとした科学書であることも信頼という面で本書の価値を上げている
(ちなみに著者は先ほどの実験でイグノーベル賞を受賞している)


とりわけ僕が興味を引いたのは自信の錯覚と知識の錯覚の章


就職活動や面接において、「今までどれだけ勉強したかなんて関係ない、その人の人柄で決まる」というような類の話は大学生であればよく耳にすることだが、まさにそんななんとなくの印象を証明しているのが自信の錯覚だ
すなわち、人はその人が自信があるかで能力を判断してしまうという錯覚を逆手にとれば、面接などは楽に通れてしまう、というような経験からこうした話しが生まれたのだろう

たしかに僕らが例えば医者に行ったとして同じ能力の医者だとしても、ものすごく自信のなさそうな医者が言う言葉は「これで本当に大丈夫なのか?」と思ってしまう


そしてもう一つは知識の錯覚だ

これの最たる例がナシーム・タレブがブラック・スワンでも警告していた投資会社のクオンツだ

クオンツとは投資会社が抱える頭脳でクオンツの分析を元に投資行動を決定する
会社の収益の多くを左右する彼らには物理学や数学のPh.Dが多くなるという話はよく聞くが、「株式市場は予測できる」というような知識の錯覚に陥りがちだ、と本書は指摘する

そういう人のためにリーマン・ショックが起こったのだ、けしからん、という前にひとつ自分の身についても考えてみよう
クオンツに限らずわれわれも多くの知識の錯覚をしている

たとえば、高校を卒業した人であれば、簡単な経済分析から個の商品の価格が上がったのはこの商品の需要が増えたからだ、というようなことを知っている
その簡単な分析を元に今この商品はみんなほしがっているのだな、と結論づけることをするが、果たしてそれは本当なのか?

もっと専門的なことでいえば、サーチ理論を使えば失業手当が高くなったらますます多くの人がサーチコストよりをあげるから失業する人が増えてしまう、というような議論がある

本当にそうなのか?


上の2つの例は本当か本当でないかはあまり重要でない(実際正しいことが実証されている場合もある)
重要なのはわれわれは自分が知っていると思い込んでいることについて、そこで思考を停止してしまう

理論というのは人間が既存の研究の上にたって多くの物事を知るためには必要な手段で、そのためにわれわれは多くの知識を手に入れてきた
しかし、それと同時に「そのことについて完全に知っている」という知識の錯覚も起こりやすくなっている
なぜならそんことについて疑うということをしないからだ(疑うということが考える、というコストがかかるために、すべてのことを疑わないのは合理的な行動かもしれないが)

もっといえば、われわれはソクラテスを知っているのだから、無知の知という言葉について知っている
しかし、知っているからといってそのことを行なっているかはまた別の話だ
知識の錯覚そのこと自体について知ることは多くのことを考えるきっかけになる

パラダイムを転換させるような人はまさに知識の錯覚から抜けだした人なのだ



知識の錯覚に限らずこの本は日常自分たちが気づいていないことについて気づかせてくれる、そんな一冊だ
ここまで気づかされる本もなかなかない

真におすすめの一冊だ

ちなみにあーおもしろかったと思って読み終わると解説に成毛眞がでてきて笑った笑
闘うプログラマなど「あーおもしろかった」と思った本にたびたび最後にちょろっと出てくることが多くて、おもしろい本をかぎわける能力はすごいなぁと思いながら心地よい解説とともに本書を閉じた


今後ももうちょっとやる気を出して僕もおもしろかった本を紹介していこうかと思うのでどうぞよろしくお願いします

(ちなみに本書に関する実験動画などはこちらのサイトにまとめてあるので興味のある方は見てみては?)


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